【告知】メンヘラ.jpさんに寄稿させていただきました
告知が遅すぎる
EQです。うわぁわかり手さんめっちゃ応援してくれてる…
逆にADHDギークハウス的な取り組みにはすごく未来を感じる。発達障害者を「ケアが必要な群れ」ではなく「自助しつつ存続する部族」にできないかという壮大な実験。
— わかり手 (@ganbare_zinrui) 2017年8月29日
勢いでガッと思ってること全部書いたれ!!となってガリガリ書いて送ったはいいものの、送った後にちょっと速が上がりすぎた(内容が強すぎた)かなぁ…となって反省した部分が少し(少し?)あります。
まぁ具体的に言うと「定型フォビア」のあたりなのですが、「あなたたち(定型発達者)の事を尊重するから距離を置いて(置かせて)ほしい」みたいな事をうまく表現する言葉がどうにも見つからず、結果的にしっくりくる言葉が「恐怖症」だったのでそのまま出してしまいました。
「パワーワードだ…」みたいな反応があったので(ウウッどうか誤解の無いよう読んだ人に届いてくれ…)みたいに思ってます。
改めてこちらでも書きますが僕は定型発達者に対する敵意、害意は全くなく、なんかちょっとよくわかんなくてこわい…ぐらいの気持ちです。定型発達の友達もちゃんといます。
たぶんどれだけ書いても誤解を生むときは生むと思うのでそういったテーマで新しくブログを書いていきたいなと思っています。まだ一個も書き上げてないです。よろしくお願いいたします。
フォビアについて
ここらへんはこう考えるきっかけになった映画があるので紹介させて下さい…
はぁドラン君めっちゃかっこいい…結婚してほしい…
別に発達障害の事を題材にしている映画ではないのですが、とにかくドラン君がかっこよくてエッチで素敵なので超おすすめです。見て。
以下ネタバレです。(ゆるして)
この作品ですが、まぁ色々な見方があると思うので個人的な感想として捉えてほしいのですが
母親がホモフォビアだった時、ゲイである息子は母親を愛せるか?
というテーマを感じ取りました。
そして若かりしころのグザヴィエ・ドランくんが出した結論は
殺したいほど憎んでも、愛さずにはいられない
でした。
これを感じたとき凄くこう胸に来るものがあって、「あ、方程式だ」って思ったんだよね…
なので僕の定型発達者に対するスタンスはこんな感じです。よろしくお願いします。
恐怖症は人間のの生存プログラムとして生まれるべくして生まれたものなので(多分)そのものに対する是非は問わないことにしています。
距離感って大事だよね…大事じゃない?
うまくやっていこうね。(?)